■ タイ語と村上春樹 |
村上春樹が大好きというとちょっと気恥ずかしいので、志賀直哉のほうが好きですといっておきます。
でも中3の受験のときに始めて出会って以来、人生の各曲角に村上春樹があったような気がします。 一番すきなのは風の歌を聴け2番は世界の終わりとハードボイルドワンダーランド3羊をめぐる冒険と 初期作品に集中していて、同時代の青春のイメージがリンクしています。 そんな訳で村上春樹のこれらの作品を英語でも持っていました。さわりだけしか読めなかったですが。 風の歌を聴け3ヶ国語の風の歌を聴けひとつの作品を三ヶ国語で読むことになろうとは中3の受験のときには思いもしませんでした。 タイ語の風の歌を聴け・サダップロムカップカーン タイ語が読めるようになって初めて買ったのが風の歌を聴け タイ語の家庭教師と一緒に読んでいたのだが、春樹特有の小難しさに阻まれて、 なかなか進めませんでした。家庭教師も難しいし、日常会話で使わない言葉が多いと文句をいうので 読むのを一度はあきらめた経緯が。ですがほかの本を一冊読んでから読むと慣れたのかあっさり読める自分を発見。 日本語版が紀伊国屋でも見つからなかったので、英語版と一緒に読むことで英語版も同時に読破。 すると驚愕の事実が後に判明することになったのでした。 風の歌を聴け新装版 タイ語を読んでわからないとき日本語を読むというのが一番早いです。カンニングですね。 風の歌を聴けを日本から持ってきてはいなかったので欲しかったのですが、なかなか見つかりませんでした。 最近紀伊国屋で見つけて一気に読み込みが進みました。 日本語の文書にタイ語訳を書き込むというのが私のスタイル。 風の歌を聴け英語版・ヒアザウィンドシング 大学時代から買っては読まずに無くしといのを、何度か繰り返していたいました。もともと英語の勉強はよく してましたが、バンコクの暇な夜にまた英語を勉強していましたので。今度はあっさり読めました。 ですが、なにかおかしい感じがするのです。訳者はアルフレッド・バンバウム。読み進み日本語版を 買うとはっきりしました。バンバウムの訳が、村上の文章感を訳しきれていないのです。明らかに文脈を変えているところ 省略しているところ、誤訳がありました。確かにこの本英語の勉強用に訳されたもので、村上が 世界への販売を断固拒否している訳版だということを聞いたことがありますが、このできの悪さでは村上は許せないでしょう。 村上の文体が英語風であるのに英語圏のバンバウムが訳しきれないとは。一度バンバウムが 書評で村上や同時代の作家が100年後残っているだろうか?と村上を批判的に書いていましたが、少なくてもバンバウムの 訳の方が先になくなるでしょう。バンバウムの訳で読む村上春樹はまるで赤川次郎です。 驚愕の事実 日本語版28章108ページ12行目彼はズボンの尻で手を拭きながらそう言った。 タイ語版28章96ページ8行目ポム チェッムーカップコンガーンケーン 彼が僕になっている(驚)。これは誤訳だ。このタイ人翻訳者でたらめ書きやがって、だからうちの彼女が 読んでも何の感動もしていなかった。まるで赤川次郎でも読んでるかのように感じたであろう責任は このタイ人翻訳者のせいだ。と確信しかけたところ、英語版バンバウム訳でも I wiped my hands on the seat of my pants.と書かれて いるのに気づく。きっとこれはタイ人訳者が英語訳から訳しそのまま吟味せず出版したのだろう。 要するにすべてバンバウムが悪い。おそらく世界の人たちがこのバンバウム訳から各国語に訳された風の歌を聴けを 読んでいると思うと許せないです。風の歌を聴けも訳者を代えて再出版して欲しいです。 羊をめぐる冒険のように。 ですので残念ながらこの本は村上テイストをタイ語で十分に発揮していませんが、タイ語の勉強には 良いでしょう。またこれを読まずにノルウェイの森のタイ語版を読むのがいいかもしれません。ノルウェイの森は バンバウムに汚されていません。 トップページ |