■ タイ語講座・読み物1政治 |
タイ語講座・読み物1大日本憲法と帝国議会 明治政府(ラッタバーン)は国会(ラッタサパー) 開設のための準備をすすめました。政府は国会開設の前に憲法(ラッタタマヌーン)を制定(ラーン、ガーンキアン)しようとし、 富国強兵を進めるために人権(シティマヌッサヤチョン)よりも天皇(チャクラパット)の権限を重視した(トューペンサムカン)憲法が必要だと考えました。 伊藤博文は自らヨーロッパに留学して、ドイツ(プロイセン)の憲法を学び、憲法草案が作成されました。 また内閣制度(ラッボッ(プ)ラタバン ナヨクタモントリ)が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任(ラッ(プ) タムネン)しました。 大日本帝国憲法は天皇を主権者とし、天皇に広い権限が与えられました。帝国議会は、衆議院(サパープーテーン ラサドン)と 貴族院からなる二院制で、貴族院議員は皇族や華族、天皇が任命(テンタン)したもの、高額納税者などで、 議員が選挙(ガーンルアックタン)で選ばれたのは衆議院のみでした。しかも衆議院の選挙権を持っていたのは 小数に限られていました。制限(ガーン チャムカット)つきでしたが、国民が国政に参加する(カオ ルアム)道が開かれ、日本はアジアで 最初(レーク)の近代的な(タンサマイ)立憲制国家となりました。 cf 大統領(プラタナティボディ) 枢密院(サパーオンクモントリ) タイ語講座トップ トップページ |